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2009年 06月 01日

エサシトモコ展「はなこさん」イントロダクション

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エサシトモコの作品は、かなり写実的な本格的木彫から、伝統工芸のような蛙の置物、
梅干しの種を使った素朴な作品、荒削りの素朴な動物たち、
布など複数の素材を使ったインスタレーションなど
一見取り留めがないよう見えるかもしれない。

しかし、あえてその特徴を挙げるとするならばその彩色にある。
私たちは色のない彫刻に慣らされている。
仏像やギリシア彫刻など、まず思い浮かぶのは着彩のない状態である。

昔、学校の美術室に必ずあったのは、子供には意味の分からない白い石膏像の群れであった。
そのようなものが美術であると子供心に刷り込まれ、
大人になれば、仏像や西欧彫刻の素晴らしさは
光線の角度によって見せる様々な表情や、厳しい肉付け(モデリング)であると
作品解説などを通じて教え込まれる。

もしミケランジェロの《ダビデ》やロダンの《考える人》に瞳が描き込まれていたら、
おそらく私たちは滑稽に感じることだろう。

しかし当初、仏像には極彩色とでも呼ぶべき彩色が施されており、
ギリシア彫刻にも色が着けられていたという。

彫刻をあえて色のないものとし、
造形的な部分を強調する禁欲的な鑑賞法は
近代の特異な見方といえるだろう。

個別性を尊重し彩色を否定する近代彫刻の常識からいえば、
同一の型から抜いたテラコッタに着彩するエサシの作品は、二重の意味で異端といえる。

そこにはどのような思いが込められているのだろうか。

ある時期エサシは、リトアニア、スコットランド、トルコ、ドイツなど
様々な国のアーティスト・イン・レジデンスを渡り歩いている。

そこで彼女が強く感じたのは人と人との響き合い、繋がりのようなものだった。

個性の尊重や差異の強調といった近代の考え方は、同時に差別や排除も生む。
人は基本的に皆同じと信じるところからコミュニケーションは生まれる。

エサシがあえて同一の型を使う理由はそこにあるのかもしれない。

しかしその一方で人は特定の猫や人を愛する。
テラコッタ像の表面に描かれた目鼻の微妙な違いに人は自分の愛した猫の面影をみる。
顔かたちの差異は単に表面的なものだが、
それによって像は生命をもち「気配」を発し始める。

エサシの作品は、
今日私たちが「彫刻」と呼んでいるものの原点が、
本来は呪術的な目的で人や動物の形を作った
素朴な造像行為にあったことに気づかせてくれる。

近藤幸夫(美術評論家)

by gallery-o2 | 2009-06-01 10:00 | 2009年美術展


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